吉野手漉き和紙
「丹精込めて漉いたる紙はよ 江戸や浪花の床かざるよ」
入野トンネルの入り口近く『紙漉きの里』の看板に記されているこの紙漉歌。どれほど多くの人が、長い年月をかけて紙作りの技とそしてこの歌を歌い継いできたことでしょうか。
国栖に紙作りを伝えたのは古代壬申の乱の中心にいた大海人皇子だという説もある程、古い歴史を持っています。
和紙ならではのしなやかさや、柔らかい質感と深みのある風合いが愛され、美術工芸品や美しいインテリアなどにも利用されているほか、ウルシ工芸の生命といえるウルシを濾す紙まで作られます。いわば日本の伝統的な美術工芸を支える重要な役割を果たしてきた柱の一つともいえましょう。
コウゾの皮は寒中の澄み切った水にさらすのが良い紙作りの秘訣。近年になって水質が落ちたといわれる吉野川ですが、この清流がここの和紙作りを育ててきたともいえます。
福西和紙本舗
吉野手漉き和紙 千六百年の伝統を守る
福西和紙本舗は、吉野手漉き和紙の伝統を守り続けています。
愚直なまで古来の伝統技法を守り、一枚一枚天日で乾燥し続けています。その為日本の文化財の修復紙としても使われています。更にヨーロッパの文化財の修復にも使われ、福西和紙本舗の和紙は貴重な和紙として珍重されています。
福西和紙本舗についてはこちらをご覧下さい。
植和紙工房
和紙を身近に 伝統から革新を作る
吉野手漉き和紙の伝統を守りながら、絶えず新しいことに挑戦しています。壁紙、和紙で出来たグローブ、帽子などジャンルを超えて和紙を提供し、和紙の新たな魅力を引き出したいと考えています。
また和紙で作った葉書や名刺なども好評です。和紙を身近に置いて使って頂く工夫もしています。
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和紙作りの歴史
吉野の自然が作り吉野手漉き和紙
「吉野和紙は、大海人皇子が養蚕と共に村に伝えたのが始まりと言われています。明治中期頃までは、 国栖地区を中心に和紙の原料である楮が栽培され、国栖の約半数戸で和紙作りを行っていました。
第二次世界大戦を境に需要が減ったものの、近年になっては優れた風合いと粘り強さを備えた 高級和紙の良さが求められています。楮を清流にさらし、一枚一枚丹念に漉いた和紙が庭先に干される 様は冬の風物詩です。このような状況を谷崎潤一郎は『吉野葛』の中で記しています。
現在も昔ながらの手作業で漉き上げられ、暖かい手触りが心を和ませてくれます。優れた紙が生まれる 何よりの条件は、美しい空気と清らかな水に恵まれること。その点では、ここは紙漉きに恵まれた 山里といえるでしょう。
和紙の種類
宇陀紙(国栖紙)
国栖紙が一般に宇陀紙と呼ばれるのは、経済交流が活発であった宇陀の紙商人が売りさばいていたからとされています。
この宇陀紙は、掛け軸の総裏紙として使われいます。
また、白土を入れて漉いてあるのでやわらかみがあり、虫がつきにくく、丸めても弾力で戻らず、静かにそっと納まるという特徴を持っています。
美栖紙
漉いた紙をすぐに板に張り付ける(簀伏せ)ため、柔らかみがあり、湿度の変化があっても紙幅に伸縮がなく、表装用中裏紙として欠かすことのできない和紙です。
吉野紙
美栖紙と同様に簀伏せをして作られています。
特徴としては、薄くきめが細かく、漆濾しを行う場合にはなくてはならない紙です。
吉野杉皮和紙
吉野には「吉野材」という全国的に有名なブランドがあり、製材する際に廃棄する杉の樹皮を資源として有効利用しようという観点から生まれた紙。
吉野杉の内樹皮と楮の繊維を混ぜて漉きあげることで、独特の暖かみのある色彩と手触り感の良い紙が出来る。
色彩のおもしろさから、洋風クラフトなどの製品にも馴染み、さまざまな工芸材料として期待されている。
草木染め和紙
和紙の原料である楮(こうぞ)に、桜・あけび・ねむ・トマト・ヨモギ・アイ・サカキなどの樹皮を炊きだして混ぜ合わせたものを和紙に漉きました。
吉野ならではの植物の色彩が喜ばれています。