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古事記・日本書紀
神武天皇東征のおり、当地で光る井戸から出てきた尾のある人と出会い、 それが国栖人であったと日本書紀や古事記などは伝えています。
尾のある人などはいるはずもなく、東征軍が当地で最初に出会った先住民でしょう。
平野部の人と違い獣皮を尻に当てて山で働く姿が奇異に見えたのでしょうか。
また当時西日本の豪族を支配して近畿に力を伸ばしてきた、神武の東征軍が、 支配者としてのおごりの視線で、先住民を見下していたのがそんな記述につながったのかもしれません。
壬申の乱 吉野の宮
今から約千三百年前大海人皇子(おおあまのみこ)は、 兄天智天皇の子大友皇子と戦って勝ち天皇の座につきました。天武天皇です。
その戦いの旗揚げの地が吉野の宮といわれています。
国栖から吉野川沿いに5キロほど下流右岸の宮滝遺跡とその付近に吉野の宮はあったとされ、 近くには、吉野歴史資料館があります。
白く泡立つ奔流が岩をかむ岸辺に立ち、目をつむって、はるか古代に思いを馳せてみましょう。
馬のいななきや風を切る矢羽根のうなり、兵士たちの雄叫びや太刀の打ち合う音が、 千三百年の時空を越えて聞こえてきませんか?
散った夢や、実った夢、歴史に刻まれたドラマの跡を追うのも一興かもしれません。
国栖では犬を飼わない
壬申の乱の折、吉野川の川べりで大友皇子の兵に追われた大海人皇子が村人に助けを求めました。
村人は川舟を逆さにしてその中に皇子をかくし、追っ手の目につかぬようにしたところ、 現れた犬が舟を嗅ぎまわり吠えたので、村人はこの犬を打ち殺して、皇子の危機を救ったと伝えられています。
以来この地では今でも犬を飼う家がないということです。
また国栖小学校(廃校)下の御霊神社にコマイヌがいないのもそのためといわれています。
片腹渕
皇皇子の危機を救った村人は皇子を付近の岩窟に案内し、粟飯にウグイを添えてもてなしました。
皇子は食べたウグイの片側を水中に投じて勝敗を占ったところ、ウグイは勢いよく泳いで戦勝を予兆しました。
その地を片腹淵とよぶようになったといわれています。 場所は国栖中央公民館の下付近とされています。