|
国栖の太鼓おどり
中央の大太鼓と、その前に並んだ編み笠姿の歌い手の女たちのまわりを、 かわいい子
どもたちが小太鼓を打ちながら踊り、その子どもたちを守るように、 はかま姿にたすきがけの男たちが周りを踊ります。
子どもたちの美しい衣装や化粧たすきがひるがえり、女たちの歌う古風なそして 格調の高い歌が、リズミカルな太鼓の音と共に踊りを盛り上げます。
もともとは雨乞いの踊りであったとのことですが、長い年月の中で磨かれ、 メロディーも踊りの所作も洗練され格調の高いものとなって受け継がれてきたものと思われます。
「昔は雨が降らなかったら飢饉で飢餓につながるとあって農民にとっては 生死にかかわることでした。雨乞いはいわば命がけの踊りでもあったんですよ」 というのは吉野歴史資料館館長の、池田淳先生です。
国栖奏 ~浄見原神社~
『翁の舞』
南国栖の吉野川右岸に、天武天皇を祭る浄見原神社があります。 ここで毎年旧正月十四日に、「国栖奏」が奉納されます。
壬申の乱の兵を挙げる前大海人皇子が吉野の宮に難を避けていました。 そのときそば近く仕えて慰めたのが国栖人だということです。
壬申の乱で大友の皇子が敗れ、自害して果てました。
勝利を得た大海人皇子が天皇の座に着いたとき国栖人はこれを祝って国栖奏を演じました。
喜んだ天皇はこれを『翁の舞』と名付け以来朝廷の大事な行事には国栖奏が演じられるようになりましたが、 のち、戦乱などで、国栖人の宮中参内は絶えました。
しかし国栖奏は今も受け継がれて毎年演じられています。
切り立った断崖の上の細い道を、古代の衣装に烏帽子姿の一行が拝殿に向かって静かに進む姿は 千三百年の昔にタイムスリップしたようで、華麗な宮中絵巻の一場面をみるようでもあります。
写真家や、俳人たちの貴重な取材の対象ともなっています。